プロローグ

何で競輪選手になったの?

 

良く聞かれます笑

 

僕は選手になれそうだったからです!

 

今競輪選手は様々なスポーツのセカンドキャリアとして認知されつつありますね。

 

僕は中学では野球をやっていたのですが集団行動が苦手なのと強制してやらされる練習がとても苦手でした。。。

 

部活をサボっては友達といっつも自転車のってました。

 

そこで父親が『そんな自転車好きなら競輪選手になってみたら?』の一言。

 

あーじゃあやってみようかなー!

 

そんな軽い気持ちでフワッと目指しました。

 

選手になるにはどうるすればいいの?

 

父親が日本競輪選手会に問い合わせたところ最寄の競輪場で練習をしている競輪選手を紹介してもらいました。

 

後日学校を休んで競輪場へ行き練習風景を見せていただける事になりました。

 

紹介してもらったら選手と駐車場で待ち合わせて合流しいざバンクへ‼️

 

と歩いていたところに30代前半の選手の方とすれ違って

 

『あれ?先輩弟子でもとったんですか?』

 

その最初に声をかけてくださった方がのちの師匠となります。

 

そうです

 

競輪の世界は師弟関係の世界でもあるのです。

 

その師匠となる選手が自転車部のある高校を卒業していたのです。

 

じゃあそこに入ろう💡

 

今現在では高体連に所属している自転車競技部のある学校は全国でおおよそ240校くらいあります。

 

え⁉️

マジで⁉️

そんなあるんだ、、、

 

その中の一つの師匠が通っていた高校に入ろうと思いました。

 

担任の先生に相談したところ

 

担任『お前の学力だとギリギリ入れないかも』

 

えっΣ(・□・;)

 

学校の偏差値は34。。。

 

そうです

 

僕尋常じゃないくらい頭悪かったし意味わからない事に頑張れないタイプなんです笑

 

頭悪いのに理屈っぽい笑

 

家庭教師を頼めば一緒にテレビを見ちゃうし、、、

 

そんなどうしょうもなくめんどくさい思春期を過ごしていました。

 

とりあえず受からなきゃいけないから参考書を買おうとしても何が良いのかわからない。

勉強のやり方がわからない。

わからないから質問のしかたがわからない。

りんごの問題に梨が出てくるとわからない。

りんごと梨は別会計してくれよぅ(T . T)

 

もうわからないがいっぱい、、、

 

それでも健気に参考書を買い

 

そして

 

それが勉強なのかわからないけどひたすらやりました。

 

ある日担任の先生が

 

『推薦と両方受験してみれば?』

 

推薦てなに??

 

その時推薦受験の存在を知りました笑

 

まーだめもとで受けてみるかー

 

そんな軽いノリで受けてみました。

 

募集人員は10名

 

受験人数は11名

 

とても厳しい戦いとなりました笑

 

だか無知とは恐ろしい、、、

 

通知表の評価が美術と体育の2以外全部1の僕は謎の自信に満ち溢れていました笑

 

謎の自信のおかげでなんと合格しました💮

 

合格発表を見た僕は学校に戻り担任の先生に報告

 

先生『どうだったかー?やっぱあれかー』

 

僕『あ、なんか受かってました笑』

 

先生『え、ええええっ!!』

 

持ってた教科書落として先生は喜んでくれました笑

 

人は驚くと物を落とすんですね笑

 

周りからは絶望的存在だったらしいのでみんな驚いてくれました!

 

人を驚かす快感を覚えた瞬間でした笑

 

その後の中学校生活は前にも増して薔薇色の生活は言うまでもなくないですね( ̄∀ ̄)

 

のちに知ることとなるんですが1人落ちた生徒は頭は良いけど内心が死ぬ程悪かったから落ちたそうです。

 

え∑(゚Д゚)

 

俺そいつがいたから受かったんだ、、、

 

俺今思い返すとここから全てが始まったんだなぁと思いました^ ^